彼が想い出せないもの
彼の恨みと怒りは治まることがなかった。
毎日欠かさず何キロも歩いて、急な岩ばかりの山を頂上まで登り、
天を仰ぎ唾を吐いていた。
山を降りると、泥でできた貧相な家に籠り
誰とも関わらず生きていた。
彼は本意でなかった経緯で今があることを深い部分に刻み覚えていたし、
今の自分は「神」から打ち捨てられたと、見捨てられたと感じ
惨めな気持ちの末の、恨みつらみの中だけで生きていた。
確かに、彼が「記憶」している「本意でない経緯」は、
ここに降りる前に起こった真実であったが
「見捨てられた」という思いは、勘違いでしかなかった。
決して「自分自身」は「自分自身」を見捨てることも
失望し打ち捨てることも無い。
時に真実と勘違いは複雑に絡み合い、感覚に大きな混乱や歪を招くことが多々ある。
彼と彼が在する文化が「神」と名付け、彼が憎み恨んでいるものが
「自分自身」であるということを思い出すことはもはや無く
彼はこのまま一生を終えた。
その後の彼の生では
現状を受け入れ従うものが多かったが
それもまた「神からの寵愛」を再び思い出すことからは
はるか遠くにあった。
「神」である「彼自身」は
いつも彼を愛し傍にあり、共に歩んでいることを思い知るまでは、
まだまだいくつもの時を要するのだった。